「飛ぶ教室」エーリヒ・ケストナー ~オールタイムベストなクリスマス物語~

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 記事タイトルの「オールタイムベスト」はもちろん、個人的にという意味です 笑
 
 クリスマスも近いので、『飛ぶ教室』を再読しました。
 1933年にドイツで出版された、児童文学界のレジェンド、エーリヒ・ケストナーの代表作。
 味のある挿絵(好き―!)の画家は、ワルター・トリヤー(Walter Trier)です。
 

手元にあったこちらは1984年発行でしたが、ケースのおかげか本の状態は問題なし。(すごい!)
高橋健二の訳が、典雅とでも申しましょうか、たいへん古風な言葉づかい。子どもの頃に読んだ、昔の翻訳児童書の雰囲気が懐かしかったです。
 

こちらは今のお子さんたちにおすすめ、新訳の岩波文庫版
 
■目次■
 
サンタ帽猫

「飛ぶ教室」あらすじと感想

楽しい「まえがき」「あとがき」

「第一のまえがき」「第二のまえがき」と「あとがき」に挟まれた、ユニークな形式の物語です。

 

こんどは本式のクリスマス物語です。ほんとうは、私はこれをもう二年前に、書くつもりでした。それから去年は、ぜひとも書くつもりでした。ところがそうしようとすると、いつも何かじゃまが起こりました

 

 で始まる、「第一のまえがき」がなんともチャーミング 笑

 

「おまえはことしあれを書かなければ、クリスマスになにもあげませんよ!」

 

 と母にいわれた作者ケストナーは 笑 、暑い夏の盛りに雪降るクリスマス物語を書くために、8月でも雪の残るツークシュピッツェ山のふもとへ母の手で送り込まれ 笑 、広い草原の中にある木の机とベンチで執筆しています。

 

 つづく「第二のまえがき」では、主な登場人物のひとり・ヨーニーの説明があります。

 

(ここであらかじめお伝えすると、今後の引用や名前の表記は、今回わたしの読んだ高橋健二訳に基づく古風なものになります 笑 )

 

 アメリカ人の母とドイツ人の父の間に生まれ、父と不仲だった母が家を出たあと、4歳のときにたったひとりでニューヨークからドイツ行きの船に乗せられたヨーニー。

 

 彼は父からとんでもないやり方で、海の向こうのドイツに捨てられてしまったわけですが(!)、幸い、その船の船長がいい人で、ヨーニーは彼の妹夫婦に育てられます。

(いい人でも、船に乗ってばかりの船長に子育てはできなかったらしい)

 そしてその後、10歳から18歳の男子生徒が通うギムナジウムの寄宿舎に入ります。

ヨーニー・マチアス・ウリー・ゼバスチアン・マルチン:生徒たちの創作劇「飛ぶ教室」

 この作品は、高等科1年生になったヨーニーと仲間たちが寄宿舎で送る、12月21日からの4日間の物語です。

 

 その年、ヨーニーと4人の同級生は、12月23日の学校最終日の夜に体育館で開かれるクリスマスのお祝いで、ヨーニーが脚本を書いた『飛ぶ教室』という劇を上演することになっていました。

 

・いつも腹ぺこで勉強が苦手、裏表のない性格で愛されるけど地雷も踏む、ボクサー志望のマチアス

 

・マチアスと仲良しの小柄な金髪の貴族、臆病な自分に悩むウリ―

 

・頭の回転が速く度胸も(そして実は人情も)あるけれど、つい言葉が過ぎて周囲との間に壁があるゼバスチアン

 

・いつも首席で絵を描くのが得意、実家が貧しく奨学金を受けている、みんなのリーダー・マルチン

 

 彼らは、横暴な上級生とやりあったり、因縁のある他校生とやりあったり(やりあいが多い 笑)、かっこいい謎の男性・通称「禁煙先生」と交流したりしながら、にぎやかな寮生活を送っています。

 

 その他、生徒たちが憧れる、舎監の「正義先生」と呼ばれているベク先生が、自分の学生時代にこんな先生がいたらなあ、と誰もが思いそうな、魅力的な人物なんですよねー。

「……男子、バカー 笑」

 時代の影響だと思いますが、昔風の男子のプライドというか、やせ我慢と腕力! なエピソードが、まあまああります 笑

 

 たとえば、物語が始まって早々に起こる、他校の生徒に同級生が人質にされて、彼(と、一緒に奪われた書取り帳)を奪還するためにみんなで校則を破って街へ……という大事件。

 

 これ、あとで話を聞いたベク先生も、規則は大事だけどそういうとき仲間を助けにいくのは当然だという空気を出すのですが。

 読んでいてじーんとするシーンもたくさんありますが。

 

 それはそれとして、実は元々、こっちサイドが仕掛けたケンカなんですよね、この件 笑 

 

 相手の報復はやりすぎなんだけど、そもそも、最初の交渉のときに、謝るべきところは謝っとけばよかったんじゃないかと(旗のことはごめん、でも同級生と書取り帳は返せ、ってね) 笑

 

 あと、先生に打ち明けられなかったのは仕方ないにせよ、やっかいな上級生には、ひとこと断っておいてもよかったんじゃないかと 笑 (子ども同士なので、自分は悪くないと思ってるのに頭を下げるのは難しいでしょうけれど 笑)

 

 読んでいる間はハラハラどきどき、でも、読み終わってちょっとクールダウンして考えると、「……男子、バカー」ってなるようなくだりが、まあまああるのです 笑

 

 とはいえ、出てくる子たちはなんだかんだみんないい子で、意地悪な上級生や口の悪いゼバスチアンも、内心では素直に反省したりしてて、かわいげがあるというか、友だちになりたいなあと思わせるキャラばかり。

 

 また、学生以外でも、とあるふたりの友だちが20年の時を経て不意に再会するシーンにはぐっときました。

 少ないセリフと描写で、ふたりの驚きや、戸惑いと喜び、そして一瞬で胸の中にあふれているであろう様々な思いを感じさせる名場面です。

 

 この

 “友だち”

 というのが、この作品を貫くキーワード。

 

 その他に

 “(心身の)傷と、その回復”

 “まわりの人たちの助け”

 そして

 “大切な人と一緒にいられることへの、感謝と喜び”

 も、強く伝わってきます。

 

 わたしはクリスチャンというわけではありませんが、どれもクリスマスの物語にふさわしいテーマだと思います。

 

 やがて、物語は終わって「あとがき」へ。

 

「まえがき」で夏のツークシュピッツェ山にいた作者は、「あとがき」では秋のベルリンに戻っており、山で一緒だった子牛のエドアルトたちを懐かしんでいます。

 

 ちょうどそこへ、船長と並んで歩くヨーニーが通りかかります。

 物語から2年たち、高等科3年生になったヨーニーから、彼や仲間たちのその後の話を聞いたあと、相変わらず世話焼きの母のもとへと作者は戻るのでした。

ちょっとだけ背景を

マルチンたちの年齢は?

 マルチンやヨーニーの通うギムナジウムというのは、将来は大学に進学する予定の成績優秀な子どもたちが通う学校です。(マチアス……笑)

 

 そのせいか、学内で彼らがしゃべる言葉は気取った感じで、先生方も生徒に、子ども相手ながら敬意をもって接しているようです。

 もちろん、親しい間柄では態度がかわることもあります。

 

 実は、読んでいて、彼らの年齢がぴんとこなかったんですよね。

 高等科1年って何歳だろう? わたしの知ってる男子高校生たちと比べると、ちょっと幼いような? と。

 そこで検索したところ、このときマルチンたちは5年生なので14歳、つまり今の日本でいえば中学2~3年生とのこと。

 

 中2かー、それなら納得!

 

 そういえば、両親と一緒のときのマルチンは、学校での話し言葉や手紙での書き言葉と違って、ちょっとかわいらしい話し方をするんですよ。

(これはおそらく、読み手のわたしが親世代になったから感じることですね 笑)

作者ケストナーの自叙伝的作品

「訳者のあとがき」によると、この作品は作者ケストナーの自叙伝的小説とのこと。

 

 ケストナーは1899年ドイツのドレスデン生まれ。自叙伝に『わたしが子どもだったころ』があります。

 

 

 今度読んでみようかな

 

 この『飛ぶ教室』では、直接ケストナーの学生時代が描かれたわけではありませんが、途中でベク先生が語る、病気の母を見舞うために寄宿舎から脱出する生徒の話は、ケストナー自身のエピソードだそうです。

「飛ぶ教室」何度も映画化された大人気作品だけど、発表当時は……

 1933年に出版されたこの作品は、何度も映画化されている人気作品です。

 最近のもので日本で観やすいのは、2003年製作のこちら ↓ でしょうか。

 

 しかし、本作が発表されたときは事情が異なりました。

 

 作者ケストナーは、この『飛ぶ教室』を発表した1933年には、詩や児童文学によって既に著名なドイツ人作家でした。

 

 当時ドイツではナチスが勢力を拡大しており、同年5月に、各地で「反国家的」な図書が広場で燃やされる焚書事件が起こります。

 

 首都ベルリンでも、群衆の前でナチス宣伝相により24名の著作家たちの名前がひとりずつ読み上げられ、2万5千冊の本が焼かれました。

 

 ケストナーはその場で、自身の名が読み上げられ作品が燃やされるのを目の当たりにします。

 

 そして、この『飛ぶ教室』以降、作品の国内出版を禁じられ、次の児童向け作品『エーミールと三人のふたご』はスイスで出版されることとなります。

 

 一見のんびりと書かれているようにみえる『飛ぶ教室』ですが、こうした背景を考えると、作品に込められた正義と罪・知恵と勇気に対するメッセージは、切実なものだったのだと思います。

「飛ぶ教室」心に残った言葉

 ――この人生では、なんで悲しむかということはけっして問題でなく、どんなに悲しむかということだけが問題です。子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。

p19「第二のまえがき」より

 

 ――かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです! 世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。

p24 「第二のまえがき」より

 

 ――「何ごともなれてしまえば、それまでだよ」と、ヨーニーはいいました。「じぶんの両親をえらぶことはできないしね。(後略)」

p208 ヨーニーとマルチンの会話より

 

 ――「(前略)わたしたちふたりは校舎の土台のように、また雪にとざされた校庭の古い木のように、この学校のものになります。わたしたちはここのものになります。きみたちのものになります。わたしたちがきみたちを愛している半分だけでも、きみたちがわたしたちを愛したら、それでよいのです。それ以上のことは、望みません。(後略)」

p189 生徒たちへの正義先生のスピーチより

 

 

※この記事では以下を参考にしました:

○徳間書店児童書編集部のnote

ドイツ文学者・石川素子「子どもの頃を忘れない大人に/『飛ぶ教室』」

○藤田晴央「エーリヒ・ケストナー~抒情を核心に抱いた反骨精神」東北女子大学 紀要 No.58:158~167 2020