「隅の老人 完全版」バロネス・オルツィ(1) ~安楽椅子探偵といえば~

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 突然ですが、今この記事をお読みのみなさまは、「隅(すみ)の老人」ご存知でしたか?

 ご存じの方は、どこで知られましたか?

 

(綾辻行人『十角館の殺人』で作者のオルツィの名前を知って……という方も多そうですね)

 

 わたしの場合は、「安楽椅子探偵」ものの名作として紹介されているのを何度も目にするうちに、このタイトル? というかキャラクターの名前? を覚えました。

 

 長年、気にはなりつつ未読だったこの作品、今回初めて読んでみたら、面白かったけどいろいろびっくりでした……。

 
 

「隅の老人」とは:「安楽椅子探偵」のはしり? 代名詞?

 1901年にイギリスの雑誌「ロイヤル・マガジン」で連載が始まった、『隅の老人』シリーズ。

 そこに出てくる探偵役の男性が、「隅の老人」その人です。

 

 短編集のタイトルは『隅の老人』ですが、個々の作品は違うタイトルで、作品中の探偵役のキャラクターが、主人公の若い女性記者に「隅の老人」と呼ばれているんですよね。(ややこしい)

 

「A・B・C喫茶店」の窓際の隅にひっそり座っている、作中で名前も年齢も職業も明かされない、謎めいた老人

 

 シリーズ作品はすべて、彼が喫茶店のテーブル越しに、様々な事件について主人公の「私」に話して聞かせるという形になっています。

 

(なお、本書=雑誌掲載版では、「私」の名前も明らかにされていません。のちに単行本化されたときに、ポリー・バートンという名前がつけられたそうです)

「隅の老人」見た目

・痩せこけていて、ひどく顔色が悪い。

・淡い水色の瞳に、大きな角縁の眼鏡。チェックのツイードのスーツを着ている。

・変わった薄い色の髪の毛を、ほぼ禿げ上がった細長い頭のてっぺんに丁寧になでつけている。

「隅の老人」行動

・注文は決まって、ミルク一杯と、ロールパンかチーズケーキ。

・ひっきりなしにひもの切れ端をいじっている。長くほっそりした震える指で、複雑で美しい結び目を作ったりほどいたり。

 

 というところまでは、問題ないのですが……

 

・主人公の「私」に向かって、初対面にもかかわらず、名前も名乗らず唐突に、世間を賑わす事件についての自分の推理を語りはじめ

 

 しかもそれが、

 

傲慢で無礼な態度。さらに、興奮するとわめく。

(回を重ねるにつれ、やや静かに、かつ、嫌味で意地悪になっていきます)

 

 って、厄介すぎやしませんか? 笑

 

 まあ、新聞記者である主人公の「私」の場合は、途中からは自分から「隅の老人」の話を聞きにいっているので、いいかもしれませんけれども。

 

 もしもわたしがカフェでこんな人に絡まれ話しかけられたら、即逃げます。そして以後、その店には行かない、絶対 笑

 

 ただ、悔しいことに、ここで披露される彼の推理が面白いんですよねー 笑

安楽椅子探偵とは?

「安楽椅子探偵のはしり」とか、「安楽探偵の代名詞」という風によく紹介されている、この作品。

 わたしも長年、そういう認識でいました。

 

 でも実際読んでみると、この「隅の老人」って、イメージ通りの安楽椅子探偵とはちょっと違うんですよね。

 

 部屋の中で(それこそ安楽椅子に座って)、誰かから事件の話を聞いただけで瞬時に犯人を当ててしまう、っていうわけじゃない。

 

 事件のことを新聞で知ったあと、検死審問を傍聴したり、事件現場や関係者の写真を撮ったりと、せっせと出かけていくんですよね、このおじいさん。ときには、イギリスからアイルランドまで海を越えて遠征したりもするのです。

 

(あと、撮った写真をなぜか、主人公の「私」にくれる。というか、テーブルの上に放置して立ち去る 笑)

 

 とはいえ、関係者から話を聞いたり証拠品を調べたりはせず、一市民として得られる情報だけで推理する、というのは、他の探偵たちとは違うところです。

 関係者に接触しないという点では、以前取り上げたブラウン神父に比べて、より「安楽椅子」かも。( 形容詞?)

 

 ちなみに、訳者の平山雄一による「訳者解説」では、この「隅の老人」は厳密には安楽椅子探偵ではない、といいきっています。

「隅の老人」:もっとも有名な「ホームズのライバル」

 解説によると、この「隅の老人」シリーズは、当時のイギリスでシャーロック・ホームズの人気に便乗あやかろうとして、様々な雑誌が掲載していた探偵小説のひとつ。

 

「マーチン・ヒューイット」、「思考機械」、「ソーンダイク博士」などの「シャーロック・ホームズのライバルたち」といわれるキャラクターの中で、この「隅の老人」はもっとも有名な人物なのだそうです。

 

 
 
 未読ですがどれも面白そう

舞台のA・B・C喫茶店:女性の外食には男性のエスコートが必要な時代

 解説によると、物語の舞台となるA・B・C喫茶店は、1864年に誕生したチェーン店。

 当時のイギリスで、女性が男性にエスコートされなくても食事ができる数少ない店として、人気を博したそうです。

 

 北野佐久子著『イギリスのお菓子と本と旅』では(こちらでは「ABCショップ」と紹介されています)、この軽食チェーン店はT・Sエリオットやヴァージニア・ウルフ、ジョージ・オーウェルなどの作品にも登場する、20世紀のロンドンの生活では欠かせない「伝説のティールーム」とされています。

 

 同書によると、クリスティーのおしどり探偵トミーとタペンスシリーズの『サニングデールの謎』(1929年)でも、まだ若いふたりがABCショップで食事をする姿が。

 そしてこのとき、トミーが「隅の老人」の真似をして、隅の席に座りチーズケーキとミルクを食べながら推理するのだとか 笑

 

「隅の老人」シリーズが有名だったことがわかりますよね。

 

 作中、「いつもの紐はどこなの?」とタペンスに煽られたトミーは、ポケットから長いひもを取り出して、「細かいところまで完璧にやらないとね」とかいって、結び目まで作り始めるそうです 笑

(坂口玲子訳「サニングデールの謎」『おしどり探偵』早川書房より)

 

 読んでいるとほっこり幸せな気持ちになるおすすめの本です

 

 

作者バロネス・オルツィ:女男爵・「ホームズのライバルたち」・国民的小説「紅はこべ」

「バロネス」っていう名前、ではない

 この作品、作者の名前はバロネス・オルツィと書かれていますが、ファーストネームがバロネスというわけではないんですよね、この方。

 

 本名は、エマ・マグダレーナ・ロザリア・マリア・ジョセファ・バーバラ・オルツィ女男爵。(わー、長!)

「バロネス(Baroness)」とは、「女男爵」という意味なのです。

 彼女はハンガリーのオルツィ男爵の娘で、父から爵位を相続した女男爵なのだそう。

 

 1865年にハンガリーで生まれたオルツィは、音楽家だった父の男爵が領地の小作人や歌劇場の同僚ともめたために 笑 ブリュッセルやパリへと移住し、最終的にロンドンに定住。(おとうさんしっかりして)

 男爵家とはいえ、一家の経済状況は良くなかったとか。

 

 それまで学んでいた音楽を諦めて、美術学校で絵画を学んだオルツィは、1894年に同級生と結婚。

 売れない芸術家夫婦として苦しい生活を送っていた頃に、「シャーロック・ホームズのライバルたち」の作品のひとつとして、この『隅の老人』という連作をスタートしたのでした。

 

 と、さらっと書きましたが、音楽や絵画を学んでいたのに小説を、しかも外国語である英語で書いて、しっかり売れちゃうって、すごいですよね!

「ホームズ」人気の勢いに乗って:原稿料とジャンルと本音

 巻末に掲載された、作者オルツィの自伝の抜粋によると、彼女は当初この『隅の老人』シリーズを、1901年に掲載された第1話『フェンチャーチ街駅の謎』から第6話『パーシー街の怪死』までの、「ロンドンの謎」シリーズ6編という契約で書いていたそうです。

(挿絵にもそういう文言があります)

 

『パーシー街の怪死』がああいう終わり方をしたのも、最終回のつもりだったからなのでしょうね。(それにしてもびっくりした)

 

 ただし、これは原稿料がよかったため。

 本音では、別のタイプの小説を書いて売れたかったそうです。

 

 ところが、「ロンドンの謎」シリーズが終わった翌月からは、「大都市の謎」という新シリーズがスタート。第7話『グラスゴーの謎』が掲載されます。

 その後、なんだかんだで1925年に3冊目の単行本として発表された『解かれた結び目』まで、『隅の老人』シリーズは書きつがれました

 

 一方、その間の1905年に彼女が発表した『紅はこべ』が、英米で大ヒットして、シリーズ10冊以上刊行される代表作に。

 オルツィは希望通り、別ジャンルの作家として名を残したのでした。

 

 フランス革命のさなか、フランス人貴族を断頭台から救う、大胆無比な謎の集団の物語『紅はこべ』

 歴史冒険ロマン小説であるこの作品は、日本でも宝塚で上演されるなど人気を博しています。

 

 

短編集「隅の老人 完全版」の特徴

 解説によると、本書はこれまでに日本で出版された何冊かの単行本とは違って、初出、つまり雑誌掲載版の翻訳なので、

 

・最初に雑誌で発表された順に作品を掲載(イギリスでの3冊の単行本出版時に、順序が変えられていた)

 

・これまでイギリスで出版された3冊の単行本に収録されていなかった作品(第7話『グラスゴーの謎』)を収録

 

 という特徴があるそうです。

 

 内容についても、

 

・単行本では三人称に変更されていた一部の作品が、「私」による一人称に戻されている

 

・「隅の老人」の話の聞き手である、「私」の名前がない

 

 などの変更点があるとか。

 

(雑誌掲載版を単行本に収録する際の改稿で、主人公のポリー・バートンという名前や、茶色い瞳であること、詳しい仕事の内容や恋人など、様々な設定がつけ足されたそうです)

 

 ただし、第26話『カーキ色の軍服の謎』から第38話(最終話)『荒れ地の悲劇』までの作品は、雑誌初出がわからなかったため、前述の1925年にイギリスで出版された第3短編集『解かれた結び目』をもとに掲載されているそうです。

 

 

 ……と、ここまで書いたらだいぶ長くなりましたので、続きは次回に。

 

 次回は、シリーズ中もっとも知名度が高いとされる第6話『パーシー街の怪死』を含む第1話~第8話および最終話の、簡単なあらすじ・感想、そして全体の感想やおすすめしたい読者について。

 よろしければ、またおつきあいいただけると嬉しいです。

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 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 みなさま、どうぞ楽しい物語体験を。